【老荘思想】老子と荘子の思想について【禅の起源,生きづらさの改善】

生き方
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はじめに

今回は老子や荘子の思想についてまとめます。

老荘思想とは

老子と荘子の思考。
中国古典の思想、処世術。

「道」というものを定義し、それに従い生きる事を説く思想。

道とは

老子の言う「道」は下記。

・万物の根源に存在している普遍的な実体
・万物の存在を支配してる根本的な原理
・この2つの性質をあわせ持つもの

これが道だと説明できるものは、本物の道でないとされてます。
その上で、あえて下記のように語られてます。

・天地の初めより前に、存在したもの
・無としか言いようのないもの
・万物の根源にあるもの

…そんなものはない、では話が進まないのでそれが”ある”というこにして進めます。

孔子が儒教で説く「道」とは別物なので注意。

老子の思想

老子は「現実の政治、人の生き方へ言及」まで言及されてます。
内容が大量にあるので… 全て知りたい方は専門書を読んでください。

このブログでは私の独断と偏見で6つの項目を抜き出して紹介します。

無為自然

不自然に手を加え、作為的に何かをする事を辞めという思想。
道に沿った、ありのままの自由な状態を良しとした。

作為的な行いは長続きしない。
なので、何も手を加えず、あるがままに任せればいいという事。

・下手な策略は百害あって一利なし。
・背伸びして、つま先立ちすれば、足物がおぼつかなくなる。

そのような教え。

上善如水

理想の生き方は水に習う。

・万物に恩恵を与える
・硬い岩に穴をあけるような力が備わっている
・相手の出方に応じで柔軟に体制を変える(柔軟性の比喩)
・人の嫌がる低い所へ流れる(謙虚さの比喩)

◆柔軟性について
水は丸や四角の器によって形を変える。
その”柔軟性”が大切。

◆謙虚さについて
水がないと生物は生存できない。
そうした大きな働きをしながら、低い所へ流れていく。
そのような”謙虚さ”が大切。

◆ただし、過ぎた柔軟性や謙虚さはNG。
自分の中で「No」の一線を持っておくこと。

行き過ぎた変化は、お調子者になる。
過度な謙虚は、周りに謝ってばかりになる。

こうならないために、まず自分を持つ。
その上で柔軟性や謙虚さを持つ。

そのような教え。

有無相生

無があるからこそ、有がある
有があるからこそ、無がある。
つまり、有と無と思ってるモノは想定的な関係で絶対でない。

美と醜、善と悪、有と無、上と下、高と低、など。
これらの違いの価値観は相対的なモノで、本質は同じ。

・有があるから無がある
・美醜も時代の変化で変わる
・善も相手から見たら悪になることがある

そのような教え。

足るを知る

欲には人をやる気にさせる良い一面がある。
が、欲が過ぎると問題になる。

そこで、足ことを知り、適度な所で留まる。

・地位に執着しすぎれば生命を失う
・財産を蓄えすぎれば失う苦しみが生まれる

そのような教え。

和光同塵

自分の能力や才能を目立たせない。
そして、世間一般の中に適応して静かに暮らす。

・知恵、才能、などを見せびらかすといい事が無い
・頭が良すぎると人に恐れられる
・無いものまで飾り立てるパフォーマンスはやめる
・上り調子なら上手くいくかもしれない
・恐れられた人は、下り調子になると足を引っ張られ落される

そのような教え。

小国寡民

老子は国家の理想形として「小国寡民」を説いた。
そのままの意味は、国土が小さく、国民が少ない状態。

イメージとしては、自給自足の少数民族のようなもの。

小国寡民

・昔ながらの生活や習慣で満足する
・満足していれば隣国へ出かけなくても満ち足りている
・無い物を求め、人から奪おうという心が出なくなる
・結果的に他国と比べることが無くなる
・領土や人口を増やそうとする欲求すら生まれないそんな理想の世界

対局にあるのが、今の文明社会
便利になったが、近年ではマイナスの面が出てきている。

【資本主義のマイナス面】

・数々の依存症ビジネスが登場
・過度に購買意欲を煽る広告などのマーティング
・SNSの登場がして他人との比較癖がつく
・幸福度の低下
・過労死
・精神疾患の増加
…など

文明は便利で、一度その便利さという毒を手に入れたら手放せない。
私たちには理想郷は難しい。

個人的には、毒も少量であれば薬になる。
いまは、これらの文明との付き合い方と向き合う時期なのだと思う。

荘子の思想

荘子は「老子」の教えを受け継ぎ発展させた人です。
老子との違いは「人間、個人に深く言及する内容」が中心に語られた事。

【老子と荘子の時系列】

・老子:紀元前400年前ごろ(詳細不明)
・荘子:紀元前369~286年

荘子との差は下記の2つ
・文字数の増加(所説ありますが、およそ8~12倍)
・物語形式で書かれている事(寓話)

こちらも大量にあります。
この記事では、3つの基本思想と3つの寓話だけを紹介します。

基本思想

逍遥遊

荘子版の「無為自然」の意味。

【逍遥遊】

・逍遥=気ままに、あちこち歩きまわる事
・遊=好きなように楽しむ

人間の浅はかな判断や区別を介さず、ありのままに自由に生きる境地。
人為的なモノを否定し、道に沿って生きる事。

荘子は、その境地に達した人を至人、神人、真人などと呼びます。

今でいう、悟りのようなもの。

そのような教え。

万物斉同

荘子版「有無相生」の意味。

【万物斉同】

・万物=すべてのモノ
・斉同=全て等しい

人は、あるモノにどちらが正しいかを決めたがる。
その判断は、他との比較で成り立ちます。

しかし、 正誤、善悪、美醜、生死、宇宙根源の道から見たらすべて等価値。
そのような教え。

心斎・坐忘

荘子が説いたとされる、自己観察の方法。
「道」に至る方法。

・心斎 = こだわりを捨てて、心の汚れを取る
・坐忘 = ここにありながら、全てを忘れ去る事

心を空っぽにし、静寂を守る。
そのような教え。

これは、後に坐禅へとつながっていきました。

寓話・エピソード

胡蝶の夢

荘子が見た蝶になる夢の話。

【胡蝶の夢】

・夢の中で蝶として楽しく飛び回った
・自分が荘子であることを忘れていた
・目を覚ますと、自分は蝶でないと気付いた

・この時、下記の2つを考えた
 → 自分が蝶になる夢を見たのか
 → 蝶が自分(人)になる夢を見てる最中なのか

・自分が何であるかは本当は誰も分からない
・夢と現実の違い、生と死の間でも万物斉同があるという教え

そのような教え。

尾を泥中に曳く

下記の2つのどちらになりたいかという話
・立派な甲羅をもち、殺されて甲羅だけ飾られる亀
・泥の中でそれを隠し、を這って自由に生きる亀

【尾を泥中に曳くの概要】

甲羅は地位や能力などの比喩。

立派な甲羅は重く不自由。
殺されると1か所にとどまる事になる。

それならば、泥の中でそれを隠し低い地位で自由に生きる方がいい。
=無為自然を尊重した生き方。

荘子はそのような思いから、重要な役職や、政治的権力を持つ地位への申し出を断り続けた。
世間のしがらみから離れる。

【荘子の断り方】

千金は大したもの、宰相は最高の地位でしょう。
しかし郊祭の生贄になる牛をご覧なさい。
長年、美食で養われ、錦繍で飾られ、最後には祭壇にひかれていく。
その時いっそ野放しの豚になりたいと思うも、手遅れなのです。
わたしは自由を縛られるより、どぶの中で遊んでいたい。
気の向くままに暮らしたいのです。

引用:Wikipedia / 荘子

そのような教え。

樗木問答

荘子版の「無用の用」の話。
一見、役に立たないと思われるものが、実は大きな役割を果たしているという教え。

【樗木問答の概要】

・樗木という立派で大きい木があった
・ただ、コブだらけで曲がりくねった、木材にならないかった
・大工からは無用、価値の無いモノとして扱われた
・そして、価値の無いモノだから切られず生き延びた
・生き延びた大きな木は、人を木陰で休ませ、物思いにふけさせることができる
・一見無用とおもえても、大きな役割を果たしている

多くの人は、1つの価値観で有益か無益化でしか見ない。
が、違った見方をすれば答えは異なる。

そのような教え。

道教との関係

道教、老子、荘子は分かってない事が多く所説あります。
その上で、大雑把なイメージとして老荘思想と「道教」の関係をまとめます。

古の道教は、元々スピリチュアル的な思想でした。
そこに老荘思想が加わり、今の道教になりました。

【古の道教】

・神や精霊との交流、病気を治す儀式といったスピリチュアルを行った
・神仙思想を持ち、宗教色の強い慣習が多かった
【神仙思想】

・不老不死の仙人が実在して、人間は仙人になることができるという考え
・蓬莱周辺に不老不死の薬があるという伝説を信じた
・その薬に関係がある人達を「仙」呼んでいた
・仙になるには、特別な薬が必要と考えた
・その研究の結果、中国で漢方薬などの医学や化学が発展した

この思想の起源、教典的なモノに老荘思想が使われ組み合わさって発展した。
そして、今の道教が発展した。

仙になろうとする。そのための薬を研究する。
無為自然と反しているので、ちぐはぐ感がありますね…

おまけ:儒教について

孔子が説いた儒教でも「道」について語られてます。
が、これは全く別物です。

【儒教と老荘思想の違い】

【儒教】
・大企業、君主に尽くす思想
・現実的とされる
・人間の正しい在り方を説く
・仁義、責任を全うして生きる思想
・国の拡大、民をまとめるといった戦略が書かれている
・戦国時代のリーダーにとってこの思想は扱いやすい
・結果、儒教が広く伝わった
・ただ、発展の先に現在の環境汚染、依存症ビジネスの横行がある
・儒教的思想の完璧でない


【老荘思想】
・企業や君主の縛りを抜け、縛られず、個人で自由に生きる
・神秘的とされる
・人間が無理をしないで生き方を説く
・自由に生きる思想
・国を拡大するなと、儒教と真逆の事を書いている
・戦国時代のリーダーはこの思想が扱いづらい
・結果、儒教よりマイナーな思想になった
・ただ、儒教的社会に適応できなかった人に生き方の指針を教えてくれる
・今の大量生産、大量消費の問題を抜け出す1つの解になりうる
・ただ、皆が老荘思想を信じると今の科学や技術の発展は無かった
・それをよしとするか… という問題が残る

儒教の教えは、孔子の「論語」などで語られてます。
これはのちに渋沢栄一などに日本の経営者に影響を与えます。

どちらも完璧で100点の回答ではないです。
というより、人の生きる意味、自分の信念、をどこに置くかを「問われてる」所に行きつきます。

個人的な老荘思想の落としどころ

これ以降は、個人的な考えです。

【世界は儒教的な価値観で回っている】

この発展した世界は儒教的な「資本主義」で回ってます。
なので、土台は儒教的な生き方をする必要があると思います。

それでも、そこに適応できなかった人。
感じる生きづらさを感じる人は部分的に老荘思想を取り入れる。
それが現実的と思います。
【完璧な老荘思想の実現は難しい】

完璧な老荘思想は、理想論で実現が不可能に近いです
アマゾンの奥地の存在も知られていない少数民族などでなければ実現が難しい

例として、日本のそれなりの都市で生まれた、大人まで育った人が手つかずの自然の中に移住 → 完全に自給自足をするのは非現実的
【老荘思想の落としどころ】

現実的にできる事は、老荘思想を取り入れて儒教や資本主義から距離を離す事

例をあげるなら、東京に行かない、都会から距離を置く、離島に移住するなど
 → 貨幣という資本主義システムを使う
 → その上で、できる範囲で自給自足し、自然に近い生き方を目指すぐらいが現実的

大企業を辞めて、田舎で自給自足は非現実的。
落としどころは、個人事業者やフリーランスで生きる事。
【老荘思想が与えてくれたもの】

老荘思想は、資本主義に対を為す価値観を与えてくれました。
これにより、生き方を「資本主義」と「老荘思想」のグラデーションで考えられます。

◆資本主義が強い生き方
 → 東京に移住、大手企業に勤務、週6時間、身を粉にして働く

◆資本主義を弱めた生き方
 → 東京から出ていく、地元の企業に就職

◆老荘思想に近い生き方
 → 実家やシェアハウスなどで家賃を下げる
 → 個人事業主、フリーランスとして生きていく

◆老荘思想に近い生き方
 → 山奥ニート的な生き方をする
 → 生活保護の範囲で満足して生きていく

老荘思想とどのぐらい距離を置くのかは、その人個人の適正によると思います。
一般的な「勝つ事」や「資本主義の的な成功」以外に価値観の考え方を与えてくれたのが、老荘思想の良い所と思います。
【欲を持つ事すら、無為自然と受け入れる】

ある意味、資本主義社会の中で生まれた人間は欲望を持つ、儒教的な生き方をしたい時期があるのが自然なのかもしれません。

それ自体も自然の事と受け入れ、無為自然に任せる。
挑戦したい時は、資本主義的な生き方に挑戦する。

老荘思想を守って、自分の気持ちに蓋をするのも自然に反するのかもしれません。
「欲」は持ちたい時は持つ、生きづらくなったら捨てるぐらいで良いのかもしれません。

心配しなくても挑戦の結果、失敗も成功も無為自然という老荘思想に行きつきます。

まとめ

今回は老荘思想についてまとめました。

・老荘思想は老子と荘子が説いた中国古典の思想や処世術
・「道」というものを定義し、それに従い生きる事を説く
・孔子が儒教で説く「道」とは別物なので注意
・思想は資本主義や儒教の正反対のモノ
・資本主義的な”勝って成功する”以外の価値観を学ぶことができる
・道教とはやや別モノなので注意

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